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国対委員長時代に
「決めたはずのことがブレて定まらず、結局、何をやりたいのか見えない」と手厳しい指摘が続く岸田文雄首相の政権運営。特に、山際大志郎、葉梨康弘の両大臣を更迭する判断が遅れ、混乱をきたした。とにかく決断できない男はいつからそうなったのか。岸田氏のこれまでを紹介しながらレポートする。
「岸田さんは元々、全体を引っ張っていくカリスマ的魅力には乏しく、とにかく何も決められない人というイメージが強かったですね」
と、政治部デスク。
「自民党が下野していた間の2011年9月から1年間、岸田さんは国会対策委員長を務めていました。鳩山、菅、野田と首相の首がすげかわる度に民主党は支持率を下げ、自民が息を吹き返していた頃でした。12年8月には野田首相から“近いうち”に解散との言葉が出て、“いよいよ”の機運が高まっていました」(同)
党に持ち帰る
略
「与党・民主党との折衝の後、懸案が出ても、岸田さんはその場で決められず“党に持ち帰る”という返事が多かったようです。そんなに持ち帰るばかりなら国対で話し合う意味がないわけですがね」(先のデスク)
外相を4年半もやって
「岸田さんはあの頃に幹事長をやっていた石原伸晃さんに相談の電話をしょっちゅうしていました。石原さんはあの性格だから、岸田さんの電話に舌打ちしたりして、“あいつは何も決められない”とこぼしていたことがありました」(同)
自民党が政権を奪還し、第2次安倍内閣が発足すると外相に就任。以降、4年半にわたってその座に留まり、その後に政調会長となった。
「安倍さんは対中・韓では一歩も引かない厳しい姿勢を貫こうとしていましたから、バランスを取る意味でハト派の宏池会会長である岸田さんを外相に据えておくのは好都合だったのだと思います。外交は、地球儀を俯瞰すると標榜した安倍さんの独壇場。言われたことに反対せずイメージが良い人なら安倍さんは誰でも良かったのでしょう」(同)
当然、外相として決められることなど何もなかったはずだ。
「当時から岸田さんは次期首相への思いを隠すことなく、安倍さんからの禅譲を狙っていました。外相を4年半もやったのもそのためですが、一方でどこかのタイミングで閣外へ出て、自民党幹事長ポストに就きたいと安倍さんにも直接伝えていたようです」(同)
しかし、その座に歴代最長期間、居座っていた二階俊博氏にそれを阻まれ続けた。
政権生みの親の安倍氏
全文はリンク先で
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11170600/?all=1
岸田の決断力の無ささんて就任前から明らかだったじゃん
検討、説明責任で世論を伺ってからの行動になる
その顔色伺ってる間に適切なタイミングを逸する
全部これ
風呂 注視する
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