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「ユートピア」とだまされ北送の在日同胞、真実糾明決定…北朝鮮に加え日本の責任も指摘
「在日同胞たちは『北朝鮮に行けば理想郷のように暮らせる』という話にだまされて帰還船に乗ったが、実状は天と地の差で目の前が真っ暗だったという」。
真実・和解のための過去史整理委員会は7日、「北朝鮮は差別のない地上の楽園」という虚偽の宣伝にだまされて北朝鮮に帰還した在日同胞が北朝鮮政権から各種人権侵害にあったという事実を公式に認めてこのように明らかにした。彼らの被害事実を認めて真実糾明を決めながらだ。韓国政府レベルで北朝鮮に帰還した在日同胞に対する調査が行われたのは今回が初めてだ。
「25年間に9万人余りが帰還」
真実和解委はこの日、「北朝鮮政権と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は北送(帰還)事業を通じて1959年から1984年までの25年間に在日同胞9万3340人を帰還させた」と明らかにした。今回の真実糾明決定は帰還者17人の本人あるいは子孫が真実糾明を申し立てて行われた。真実和解委の真実糾明決定は帰還在日同胞に対する人権蹂躪(じゅうりん)があった点に対する「真実がすでに糾明された」という趣旨だ。
真実和解委は研究リサーチなどを通じて当時作成された公文書、外交電文、関連書籍、論文などを分析した。その結果、帰還者の大部分は「差別なく働いた分だけ分配される」「理想郷のように暮らせる」「北朝鮮は日本より良い暮らしをし人権を保障される」という朝鮮総連の宣伝を信じて帰還船に乗ったことがわかった。しかし調査に応じたある真実糾明申し立て者は「北朝鮮に到着したら北朝鮮の実状は朝鮮総連の宣伝とは天と地の差で目の前が真っ暗になった」と話した。
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「日本、帰還を意図的に支援」
真実和解委はこの日、帰還事業と関連し日本政府の責任も指摘して目を引いた。真実和解委は「北送事件の一次的な責任は北朝鮮政権と朝鮮総連にある」としながらも、「日本政府と日本赤十字社もまた、北送事業の実体を確認できたのに意図的に北送事業を支援し持続させ人権侵害を容認した」と明らかにした。また「国際赤十字委員会(ICRC)もやはり帰還協定に基づき北送過程がしっかり守られているのかの管理に積極的に臨まず、北送事業の仲介者と助言者としてその役割を果たさず傍観した」と批判した。
これと関連し、転換期正義ワーキンググループのシン・ヒソク法律分析官は「冷戦時代にいわゆる自由陣営の一員という日本政府と日本赤十字社が自国に居住する在日同胞9万人が北朝鮮へ向かう状況を放置水準ではなく助長までしたのは日本としては黒歴史」と指摘した。その上で「北朝鮮も責任を否定し日本も表に出したくない問題に対し真実和解委が国家機関として初めて声を出した点で意味がある」と説明した。
以下略
https://news.yahoo.co.jp/articles/e54719ccc3c38e59f1c21459e29b6965543e8b45
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2015/5/2 10:00
「地上の楽園」と喧伝した北朝鮮の欺瞞…加担した「日教組」は許せない1959(昭和34)年12月14日、北朝鮮に向けた帰国船が新潟港から出航した。当時、北朝鮮と国交が成立していなかったから、朝鮮赤十字会などが実施した事業であった。
1984(同59)年までに実に9万3340人が帰国したが、そのうち6839人は日本人やその子といった日本国籍を持つ人たちだったと伝えられている。こうした数字もさることながら、帰還船を見送る人たちで新潟港が埋め尽くされたことを、私たちの年代ならはっきりと覚えている。
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その後、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がないところ」などと宣伝した。それにだまされて帰国した人も少なくなかったであろう。忘れてはならないのは、それに呼応した進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し、北朝鮮の発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促したことである。特に北朝鮮を訪問し、賛礼した寺尾五郎の『38度線の北』は帰国希望者に大きな影響を与えたと言われる。
私には、どうしても許せない人がいる。1971(昭和46)年に日教組執行委員長になった槙枝元文氏は、73年に北朝鮮を訪朝し、金日成についてこう語った。
「金日成主席は大衆の心を大切にした偉大なる人だ。この国は共産主義経済理論を徹底的に教育し、自覚的に労働意欲を高めている。生活必需品はべらぼうに安い。従って生活の不安は全くないから、この国には泥棒もいないし警察官もいない」と賛美した。
教職員はもとより、北朝鮮のことをよく知らない国民は、この言葉を信じて、子供たちに北朝鮮の教育をしたのである。これほど罪深いことが許される訳がない。しかし、槙枝氏は一度も謝罪しなかった。
また朝日新聞社は、北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と呼び、北朝鮮帰還運動に加担したことも忘れてはならない。彼らは今、何と言っているか。頬かぶりして、その非を認めていないし、謝罪もしていない。
【日本人の座標軸(42)】「地上の楽園」と喧伝した北朝鮮の欺瞞…加担した「日教組」は許せない...
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在日コリアンの北朝鮮帰国事業とメディア
―冷戦下の「移民的帰還」を促した報道内容の分析―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jamsarms/28/0/28_47/_pdf/-char/en
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日本共産党 Wikipedia
コミンテルンの一国一党の原則から、戦後すぐの日本共産党の党員の三分の一が在日朝鮮人で占められていた。その後、朝鮮総連の組織に枝分かれした点からは、朝鮮総連は「元」日本共産党員の集合体と言える。「帰国三団体」と呼ばれた朝鮮総連、日朝協会、帰国協力会のうち、日朝協会、帰国協力会の事務局は、殆どが日本共産党員で占められた。『38度線の北』は当時日本共産党員の著者によるもので日本共産党の下部出版社である新日本出版社が出版した。北朝鮮の発展を大々的に描く礼賛的なもので、帰国希望者に大きな影響を与えた[22]。「在日朝鮮人帰国協力会」結成の際は日本側の呼びかけ人になったのは日朝協会で主導的な役割を担っていた社会党議員、共産党議員だけでなく、小泉純也、鳩山一郎など自民党議員も加わっており党派の枠を超えて推進された。日本社会党系・日本共産党系の関係者が帰国事業に取り組んだ背景には、北朝鮮の社会主義を宣伝することで、日本における政治的影響力の拡大を狙った所が大きい[28]。日本共産党は「アカハタ」で、社会主義社会の優位性を示す見出しを使い、1959年には一面で40回以上にわたり帰国事業を熱心に報道した[29]。
1965年(昭和40年)4月29日、日本映画『未成年・続キューポラのある街』が封切られる。原作にない、日本人妻を説得し帰還させるというシナリオがつくられる[13]。
Wikipedia
また当時は情報も正確でなく、ソ連の援助で韓国よりマシだったのも事実ですし「地上の楽園」の言い出しっぺも北朝鮮自身です。
現実も知らない中央日報の知ったかぶり記者には困ったものですね
煽った新聞などは知らんけど。
あくまで本人の希望であり日本政府が強制送還したわけではない。朝鮮総連主導の事業で「地上の楽園」と宣伝して朝日をはじめとするマスコミがそれを華々しく広めた。だましたのはこの連中、従ってこの連中の責任を追及するべきです。
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