日本大学哲学会で、『マイナス内包としての性自認の構成』という、ジェンダー活動家らに都合の悪い論文が、謎の査読者らによってリジェクト(却下)される 哲学者「あり得ないリジェクト」

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谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
「性自認」の概念について、純粋な哲学的分析を試みたものです。単に論文がリジェクトされたというに留まらず、この通知では本論文の査読過程、及び匿名査読者2名の査読コメントについて重大な疑義がありますので、以下に連投します:

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
まず『精神科学』がどのようなジャーナルかですが、本誌は査読誌ではありますが、おおむね日本大学哲学研究室の紀要的な位置付けの学術刊行物であり、近年は投稿論文数も少なく、私はリジェクトを聞いたことがありません。正直な感想を言えば、具体的にどれとは挙げませんが、私の目からするとかなり低品質な論文であっても掲載されています。日本大学大学院で哲学を専攻して修士号を取得し、共著等の業績もある、学会員である私が投稿して、何ら不自然なところはありません。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
当該論文の内容や体裁が学術的水準に達していないとはとうてい考えられず、このような背景状況からして、あれが不採用であることにまず驚愕しました。
しかし問題は査読です。私の論文を検討した匿名査読者は、両名とも、私の論文を理解できる哲学上の能力があるとはとても思われない、「ジェンダー論」の研究者でした。なぜそんなことが分かるかといえば、両名の査読コメントはほぼジェンダー論に関する言及のみからなり、本論文の中心主題である哲学的議論については一切触れられておらず、それどころか、哲学部分へのほんのちょっとしたコメントでさえ誤りだらけの、とうてい哲学的訓練を受けているとは思われない酷いものであったからです (以下で詳しく見てゆきます)。私の論文の大部分は、ウィトゲンシュタインの私的言語論、『不安の概念』におけるキルケゴール、そして永井=入不二の多次元「内包」論からなり、非専門家に理解できる内容とは思えません。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
査読を依頼するならば、キルケゴールの実存哲学の研究者か、または分析形而上学のプロパーに対してであるのが当然でしょう! 畑違いの「ジェンダー論」の専門家なんて、オマケで一人ぐらいなら許せもしますが、そこら辺の通行人に査読を依頼しているのと何ら変わりません。ふざけるな!

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
このような人選をした責任は、日本大学哲学研究室にあります。いつから「ジェンダー論」は、哲学の専門論文を (内容も理解せず!) 品評できるほど、偉くなったのでしょうか? しかし、このような状況を作り出しているのが、今の日本の哲学業界です。これは哲学の責任放棄であり、自殺です。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
以下に査読コメントを検討してゆきますが、学生諸君のために一言しておけば、論文審査における査読コメントを公開するのは信義則に反する行為であり、やってはいけません。なぜ私がそうするかといえば、このような低劣な査読は、良く見積もっても私への「批判」に近いものであり、それならそれは論文が公開されてから、公開の場で論争すべきものであるからです。これらの査読によって私の論文の掲載自体が阻止されましたので、本来は公開の場で論争すべきものを、査読コメントに対して再反論するという形でやることを余儀なくされているのです。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
次に「性自認」と「性同一性」との区別ですが、これは論文中で私が gender identity の出典まで遡って検討しているものであり、文句が言いたいなら「反論」してください。「「性自認」は「性同一性」と同じ意味の言葉」ではない、と私がわざわざ立論しているのに、それに反論せず「~という理解が一般的だと考えられます」とか、無根拠な個人の感想を述べられても、ハァ?としか言いようがありません。「「性自認」は「性同一性」と同じ意味」というのは、政治的主張です。政治的主張によって個別論文の妥当性を検討するのは、査読者としての資質を欠くと言わざるをえません。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
本論文は、そもそも普遍妥当的に「現実の人々がもつ性自認」を検討している、と一切主張していません。「普遍妥当的な性自認」とは、何ですか。性的少数者にとって「性自認」が普遍妥当しない、独自の語りを持つことを、この査読者は否定するのでしょうか。それって差別ですよね?

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
そして、純粋哲学的な問題だと仮定した場合に残るのが「ごく一般的な問題だけ」であるとは、査読者①はこの論文の何を読んだのでしょうか? 私は性的自己理解の成立という、それ自身として独異で、独立の問題圏を構成する巨大な哲学的問いについて、紙幅のほとんどを割いて論じています。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
さらに哲学的考察に入ると、査読者の理解度が大幅に低下します。「身体(外性器の形状)が…性自認の究極的な根拠だ」などと、私がどこに書いているのですか。キルケゴールの議論のどこにもとづいて、そんなことが主張されているのですか。およそ中心となる議論を、この人は何も読めていない。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
さらに「トランスジェンダーに懐疑的な人々によくある考えをただ前提する、あるいは追認する」などと書いていますが、トランスジェンダーに懐疑的な人々にこんな極めて高度な哲学的議論が〝よくある〟ものであるのなら、私はびっくりです。この査読者は馬鹿なのであろうと結論します。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
ところがこの査読者は、「自己論」としての本論文を「問題にいたしません」と述べ、以降は「ジェンダー論」の話だけを延々展開しています。この時点で、すでにこの査読は落第です。以降は、私の論文とは何の関係もないことが、ただひたすら述べられているだけです。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
査読②の冒頭には、本論文の要約があり、これは別に間違った要約ではありません。しかし私の書いたことをなぞっているだけなので、別に AI にでもできるような要約であり、肝心要の「有意味なものとして解釈する理路」について何も指摘していないので、すでに査読としては失格です。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
査読者は「先行する議論の紹介が必須」と言い、確かに私は「マイナス内包とは何かを要約することは不可能」と書きましたが、その直後で、この論文に必要なだけの範囲で「マイナス内包とは何か」を要約しているのですが、この査読者はひとかけらも理解できなかったのでしょうね。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
「この指摘はそのまま、トランスの人々やジェンダー論の論者への批判につながっていきます」と、何かさも悪いことのように2頁目には書いていますが、「ジェンダー論の論者」を批判して、何か悪いのですか? むしろそれをするのは、論文というものの役割そのものでは?

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
「有意味性を欠いたままで「性同一性」概念を「性自認」概念に置き換えようとしている」というのも、まさにその通りで、そうだと私は指摘しているのですが、その指摘の何がまずいのでしょうか? 「ジェンダー論の論者」を批判していることがまずい、とでも言いたいのん?

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
さらに「本論文がジェンダー論に対して学術的な貢献をなしうるためには」などと書いていますが、そんな目的はいささかもない。「はじめに」読んでないの? 査読者②は、ジェンダー論に対して学術的な貢献をなしていなければ、哲学論文の価値はない、とでも言いたいのでしょうかしらね。

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
続いて「自分が女/男と思えば、その人は女/男なのだ」と誰が言ってるんだ、という旨の批判がありますが、そんなこと私もひと言も言ってないので、アサッテの方角で私の知らない敵と戦っているとしか思えません。直後では「発言が認められたとしても」などと逃げまで打ってて、私の論文と関係のないところで予防線まで張る周到さであり、本当に生きてて恥ずかしくないのかしら。結論部分も私の論文と何の関係もない。
「身体基準による以外にも…性同一性を獲得する道筋は存在しており」 ←どこで私が「身体基準によらなければ性同一性を獲得する道筋はない」と主張したの?

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
「「性自認」概念は概念的に未整備であり(不可能であり)、筆者自身が哲学的にそれを整備するというスタンスで論文を書くのは」・・・それ以外の仕方で、哲学論文をどうやって書けとおっしゃるのですか。概念的に未整備なものを整備するのが哲学です。あなた哲学って知ってる?

谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
「トランスの人々を非哲学的な存在として措定している」・・・ほとんどすべての人間は、トランスであろうとそうでなかろうと、非哲学的な存在ですが。あなた哲学って知ってる?





管理人
ネットの反応

名無し
社会をよくしようとか、少数者を助けようとか、この種の視点と善意で問題設定した「研究(者)」が激増している。
人は、これが当然だと思うかもしれないが、その種の俗情とは「根本的に」異なる視点からの学問研究があり得るのだ。その種の人々には無用な(有害無益な)ものであるにせよ。
名無し
これ本当に酷い事件で、哲学者が「性自認に関する哲学の論文」を書いたら、ジェンダー論の専門家?に査読されて「お前のジェンダー論、気に喰わねぇから不採用な?」とやられた奴です。
その査読者は哲学論文を評価するのに必要な哲学の知識がないのにです。
これを許したら学問の根幹が腐ります
名無し
『よくわかるジェンダー・スタディーズ 人文社会科学から自然科学まで』という本の中で、上野千鶴子さんが、
 
>「ジェンダー」をあらゆる分野に導入する事で、従来の学問を書き換えることを目的として、ジェンダー研究が成立した。
 
と述べていたのを思い起こさせるような出来事だな😓
名無し
査読とは本来、査読者の利害関心とは独立になされるべきではないのだろうか。形式上の問題がなければ掲載とし、具体的な議論の中身については公に批判や反論を寄せられる機会を与えればよいではないか。論争が巻き起こるならそれは素晴らしいことだと思う。
名無し
文学も、哲学も、ある考えに疑問を抱いたりおかしさを指摘することが一切許されない国になったんだね
名無し
リジェクトがリジェクトされるの初めて見た
名無し
わあ読みたい。
よくわからないジェンダー学の人にキャンセルされてしまうなんて、ブチ切れて当然です。
 
谷口さんの性自認に関する動画面白かったです。
哲学講義:トランスジェンダーを考える




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