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野村修也@NomuraShuya
TV番組が「人民裁判」になりがちな理由を考えてみた。
ある件が話題に→担当プロデューサーがディレクターに違法性を調査させる→ディレクターは法律家に取材→取材した法律家が「ある条件を満たせば違法になる可能性がある」と説明→ディレクターは「違法の可能性」という結論に反応→「違法の可能性あり」とプロデューサーに伝える→番組では、「法律家によれば本件は違法の可能性がある」と報道→視聴者が違法だと認識し騒ぐ
→報道に対し、「違法になるには条件があるだろう」との批判が出る→誤報にできないので、条件を満たしていると思わせる状況証拠を掻き集めて報道→挙げ句の果てには、「条件を満たしていないことが証明されていない」として違法に違いないと強弁
こうなると、推定無罪の原則などはどこ吹く風。身の潔白を証明できない人はみんな罪人扱いになる。
掛け違えの原因はどこにあるのか。法律家は、あらゆる可能性を考えながら議論することに慣れているので、結論に至る条件を聞き分ける癖がついている。しかし、一般の人は専門家が「違法」という言葉を発したことを重視しがちだ。法律家は、この点に留意しながら、推定無罪の原則が崩れないように、丁寧に説明する必要がある。場合によっては、極端な仮定を置いた話は控えることも大切だろう。
他方で番組制作者側には、法律家の論理は通常いくつかの前提条件を置いていることに留意し、慎重に扱う姿勢が求められる。「違法」と打ち出した方がセンセーショナルで視聴率につながるとしても、ここは我慢のしどころ。さらに言えば、条件が成就していると言いたいが故に、これも怪しい、あれも怪しいと騒ぎ立てるのも慎むべきだろう。
結論としては、面白みに欠けるかも知れないが、「ある条件を満たすならば違法になる可能性はあるが、現時点ではその条件が成就している証拠はないので、違法とは言えない」という冷静な報じ方が求めらるのではないだろうか。
私は、こうした流れを正す力をTV局は持っていると考えている。正直なところ、TV局が悪意を持って歪めているわけではなく、限られた時間の中で、大人数でバタバタと制作しているのが原因だ。どこかで誰かが安易な流れを作ってしまうと、止まらなくなるだけ。仕事の仕方を見直せば、解は見つかると思う。
— 野村修也 (@NomuraShuya) November 30, 2024
どの局も同じような方向性になるのが変ですよね。
誰がが言っていたテレビをばかり見たらバカになる、その通りだと思う。
もうオールドメディアに戻ることは無い。
推定無罪の原則が基礎として身についていないテレビ局に一企業として問題があるのが前提ですが、専門家でもない出演者が知識も確かな情報も持ち合わせていないのに真偽不明、憶測で断定、断罪する番組が成立しているのがおかしい。
若狭勝氏や三輪記子氏のような番組用のコメントをしちゃう専門家や、無知すぎてイジメの号令に安易に乗っかるコメンテーターたちが集団リンチに発展させ、ネットまで叩く始末。テレビの末期でした
かなり歪んだ人間性の持主がマウント取り合う滑稽なTVショーwww
例えば斎藤知事案件はゴーで
沖縄のワシントン駐在事務所闇設立とか
岩屋が中国から賄賂とか
そもそも県民局長の公用PCの内容とかにはゴーが出ない、というジャッジの闇に切り込んで欲しい
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